2015年9月26日から27日の1泊2日で、高校生が伊江島観光協会の伊江島民泊に来てくれました。
伊江島は沖縄本島北部、美ら海水族館の対岸に浮かぶ人口5千人の離島です。

2015年の台風21号が沖縄方面に接近して、帰りのフェリーが欠航するかもしれないという中で、島に渡る決断をしていただいた、学校関係者や旅行会社の方々に感謝です。

そんな時に、伊江島の一民家の母ちゃんもちょっと考えてみたさぁ、というのか今回のブログです。

伊江島民泊の食事


我家には男子高校生5名がやって来てくれました。
お昼前の伊江島フェリーで到着したので、着いて早速、昼食です。
ランチはダイニングキッチンで食べるのもいいけれど、沖縄の優しい風が吹き抜けるテラスで食べるのが好きです。

奥のブルーの柱の間にかかっているのがハンモック。
ここでお昼寝は、気持ちいいですよ(^o^)

伊江島民泊の男子高校生と昼食

子供たちは、食事後に食器洗いなどのお手伝いをしてくれました。
来てくれた高校生はと〜っても、いい子供たちでした。自慢の息子たちですよ!!

もうね、自分のお家に来てくれた子供たちは、本当に愛おしい。
それは、伊江島の民泊を受け入れている家族が、みんな感じていることだと思います。

 伊江島民泊の男子高校生がお手伝い

伊江島民泊での体験


到着日には伊江ビーチでマリン体験がありました。
・ドラゴンボート
・シーカヤック
・シュノーケリング
・海中観光船
の中から自分の好きなメニューを選びます。

うちの子たちは、シュノーケリングを選んでいました。
うちのお父さんは、伊江島ダイビング協会からインストラクターとしてシュノーケリングを教えています。

残念ながらお父さんのチームではありませんでしたが、ニモ(カクレクマノミ)を見たり、ヒトデやナマゴを触ったり、楽しい時間を過ごしたようです。

せっかく沖縄の離島に渡るのだから、伊江島の自然を満喫できるメニューがあるのはいいですね!!

伊江島民泊の男子高校生とビーチコーミング

マリン体験が終わって家に帰ってからは、ひみつビーチに行ってビーチコーミングをしました。
うちの家業はダイビングサービスで、マリンメニューを提供しています。
なので、サンゴや海の魚、貝など、海の生態について説明した後、海岸で実際に観察をします。

手つかずのビーチで拾った貝殻やサンゴで、夕食後にオリジナルフォートフレーム(写真立て)を作りました。
自分で作ったフォトフレームに修学旅行の写真を入れると、思い出も倍増しますよね。

伊江島タッチューからの眺め

雨が降りそうな中、城山(伊江島タッチュー)に登ったり、ニヤティヤガマ(千人洞)の探検もしました。
タッチューは、「雨が降るから早く帰っておいでよ」と言うと、ダッシュして3分間で頂上に着いたそう(笑)。
平らな島にある唯一の山なので、頂上からは360度の海が見渡せて、絶景です。こんな場所、他にはない!
でも危ないから、気を付けてね〜。

伊江島民泊 離村式


翌日は残念ながら、伊江島フェリーが台風の影響のために午後は欠航とのこと。
安全のためには、仕方ないですね。
でも、沖縄一欠航しにくいのが、伊江島フェリーです。

みんなは予定を早めて、午前10時便での離村となりました。
伊江港前の、はにくすにホールでの離村式。

ちなみに、はにくすにとは、はにく=かねく=兼久=長い砂浜、すに=駅という意味だそうです。
要は、港の前のみんなの集まる場所、っていう意味かな。

伊江島民泊 ホールでの離村式

校長先生、民家代表、生徒代表のあいさつ。
生徒代表の女子は、「台風で私たちの乗るフェリーが欠航になって、このまま伊江島にいられたらいいのに」って言ってくれました。

伊江島民泊 三線体験の披露とフラ

民家体験での三線の披露と、お母さんたちのフラダンスのコラボレーション。
伊江島が誇るシンガーソングライター、島袋ひとみさんの「一期一会」という唄は、胸がじ〜んとします。

そして高校生のみんなが歌ってくれた「島人ぬ宝」。
一緒に歌って、泣いていたお母さんもいました。

伊江島民泊 船での別れ


船が出て行くお別れは、とってもさみしいです。
台風の影響で、少し波が出てきた海。
子ども達は大きく手を振って、それぞれのお母さんやお父さん、おばあさん、おじいさんの名前を叫んでくれました。

これだけ並んでいても、うちの子たちはちゃんとわかるよ。
島のおかあ、おとう、おばあ、おじいは、フェリーに乗る子供たちに、旅立っていった自分の子どもや孫を重ね合わせます。

伊江島民泊 フェリーでの別れ

伊江島民泊が始まったのは


伊江島は、11年前から修学旅行の民家体験泊を受け入れ始めた、民泊の先進地です。

過疎化していく島おこしのために何が必要か?
安易に箱モノの大型ホテル等を誘致するのではなく、今ある人やモノを活かそう。そう、伊江島の人々は考えました。

伊江島の北海岸ワジー

伊江島に高校はないため、島の子どもは高校生になると島を出て行きます。
15歳の島立ちです。

使わなくなった子供部屋があり、とてつもなく子供好きな島のお母さん、お父さん、おばあ、おじいがいます。
そこに修学旅行生を受け入れて、離島生活を体験し、平和学習をしてもらおう。
そうやって、伊江島の民泊事業は始まりました。

それから年月が経ち、今では沖縄各地で民泊の受け入れが行われています。
なにも陸路を2時間バスで走り、船に乗って伊江島まで行かなくても、民泊体験は沖縄のどこでも出来るようになりました。

今では那覇空港から30分バスに乗れば、沖縄の民泊体験ができるのです。
費用と時間は節約できますよね。
もちろんそこには、暖かい沖縄の家族が待っています。

伊江島民泊に思うこと


今回、翌日のフェリーが欠航するかもしれない中、伊江島に来てくださった高校の皆さんを見て、離島の母ちゃんも少し考えました。

今の沖縄は、民泊体験ができる場所がたくさんあります。
その中で、あえて伊江島を選んでいただく理由は何なのか・・・
答えはやはり、離島だからだと思うのです。

修学旅行で来ていただく高校2年生は、伊江島にはいません。
長男長女であれば、アパートでひとり暮らしをしながら高校に通っています。

同様に修学旅行に来ていただく中学3年生だと、間もなく親元を離れる年齢です。

同じ日本の中で、自分たちとは違った環境で生活する同級生がいることを、少しでも知ってもらえればと思います。
普段ウザい?と思う親から、15歳で自立していかなくてはいけない15歳もいるのです。

私たちが伊江島民泊体験で提供している部屋は、15歳で島立ちをして使われなくなった子供部屋です。
そして、たった15歳で島の親元を離れて、ご飯も作ってあげられない自分の子供の代わりに、伊江島民泊で来てくれた子供たちにご飯を作るのです。

米軍の艦砲射撃で姿が変わった伊江島タッチュー

伊江島は、第2次世界大戦の戦火にさらされた島です。
その島で生活することで、沖縄に来る大きな目的の平和学習が、さらに実感を持って体験できると思います。
写真の伊江島タッチューは、米軍の艦砲射撃で山の姿を変えました。

そして今回のように、台風でフェリーが欠航する離島。
手配される旅行会社さんや学校関係者の方々には、大変ご苦労をかけてしまいます。
でもかえって生徒さん達には、沖縄の離島の暮らしがわかっていただけるのでは、と思うのです。
その大変な離島生活だからこそはぐくまれた、伊江島んちゅのやさしさや子供たちにかける思いも。


今日は、今回の台風で、伊江島民泊の一民家の母ちゃんも少し考えてみたさぁ、というブログでした。
本当に伊江島は素敵な島なので、民泊に限らずお越しくださいね!!

(これは個人のブログでのひとりごとなので、伊江島観光協会民泊を代表するものではないことを、ご了承ください)


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それではまたね